相模目線での 床下エアコン暖房の歴史

床下エアコン暖房の登場

まずは 近年の 暖房器具の移り変わりをお話します。

2000年ごろの新築計画においては、予算の豊富な人には温水パネルヒーターを採用していました。三条市にはコロナというメーカーがある。
そこに図面を送ると、暖房計画と見積もりと、施工まで一気通貫で対応してくれたので、ひいきにしていた。

予算の無い人は、温水ルームヒーターを採用していた。当時、自宅でも愛用していた、温水ルームヒーターの「ホットマン」いつの間にか生産が終了していました。時代は移ろいますね。
いずれも石油の外部ボイラーを熱源としてました。

 

私の居たハウスメーカーは、次世代省エネ基準をつくりだした、東大の坂本雄三教授をコンサルティングに招へいする。その頃から「無暖房住宅へ挑戦」と、超高性能路線へと舵切りを進める。

会社は長岡市にQ値=0.9クラスの超高性能モデルハウスを建築する。(2006年?)
モデルハウスの暖房形式は、石油で温水をつくり床下に放熱する方式と、セントラルエアコンの温風を躯体内に還流させる両方を搭載し、実証実験も兼ねていた。

この頃からあまりに建築費が高くなり、現実離れしてくるようになって注文が取りにくくなる。 (手の届かない超高性能住宅)最も高価な断熱材であるネオマフォームを内外ともで付加断熱しており、コスパの検討よりも計能ありきの仕様設定であったからである。

会社的には外断熱を推進していたが、西方設計の出した「外断熱が危ない!」を読み、この本の方が正しいのではないかと思い、何度も読み返し研究する。

特に巻末に掲載されていた「床下暖房」がぐっと来た。
極めて合理的で理想な方法に感じたからだ。

床下暖房の採用

当時いたハウスメーカーの標準性能は、外張りの限界的性能のQ値1.6程度であった。基礎断熱でもあったし、当時としてみればそれなりの高性能であった。
オール電化住宅が急速に普及しており、
「スラブヒーター」をお客様の家で搭載することを開始する。


深夜電力を利用してスラブに蓄熱させる方式の「床下暖房」である。

頭寒足熱のマイルドな快適性は非常に評判がよかった。
スラブヒーター方式で経験を積んで、床下暖房の基本が身に着いていた。

この頃からQ値を用いて概算で年間の暖房費用を推計できるエクセルの表を組んでみたり、お客様の家の暖房費用をしらべたりして、暖房負荷がどの程度になるのか検証をするようになった。(当時、QPEXなどのプログラムを持ってはいなかった)

2004年の中越地震に引き続き、 2007年に中越沖地震が発生する。
2度目の地震は、脱サラ・創業を決意させる大きなターニングポイントになった。
長岡市で住宅営業マンをやっていた私にとってみれば、長岡市と柏崎市の両方の建て替え需要をすべて短期間に失ってしまうということ。

創業に向けて、ビジネスモデルを構想する。
そんなかんだで、ある程度は温熱オタク気味であった私は、
高断熱はしっかり、自分の会社の特徴としようと決めたわけです。

自分の会社なら 費用対効果の高い、内部充填にしよう。
創業したら、西方設計のいる新住協に入ろう。
エアコンの性能もよくなってきたし、エアコンで床下暖房をやろう。
そうすれば工事費も安いし、環境にもやさしい。

こうして、オーガニックスタジオ新潟の床下暖房は誕生したのであった。
めでたし めでたし。

脱サラ直前のお客様の家で、エアコン方式の床下暖房を試験採用してもらって検証した。
たぶん、この住宅が新潟県初のAC床下暖房だろうと思う。創業来、一貫して改良を積み重ねて経験を積んでおります。

相模 稔
代表取締役

相模 稔

オガスタの社長。 工務店経営のほか講演活動なども行う。 アメブロ「おーがにっくな家ブログ」もよろしく。

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