意識させる暖房と、意識させない暖房
暖房設備には、意識せざるを得ないものと、ほとんど暖房していることを意識させないものがある。
壁掛けエアコンは、前者の典型的な例だ。 室内機が壁に設置され、視界に入るだけでなく、風が吹き、稼働音も聞こえる。 「暖房している」という存在感が強く、空間においてはどうしても「目に見える、感じられる暖房」になってしまう。

床暖房は知られているが、壁掛けエアコンに比べてずっと自然だ。足元が素足がじんわりと暖められ、部屋全体に柔らかなさが広がる。でも、ホットカーペットの上にいるように「暖房を意識」させるほどに床が暖かい。
床下エアコンと壁掛けエアコンの違い
では、「暖房していることを意識しない」状態とは、どのようなものだろうか?
それを実現する方法の一つが、床下エアコンだ。 床下エアコンとは、住宅の床下空間にエアコンを設置し、温められた空気を家全体に循環させる仕組みの暖房方式である。

この方式では、床暖房とは異なり、床温度と室温はほぼ同じで、家全体の温度が均一に保たれる。
その結果、住人はただ「快適である」という状態を享受するだけで、暖房設備の存在を自ら意識することはないし、もちろん、目障りな室内機も、音も風も意識することはない。
大体のオーナーさんは、12月に入り暖房が必要かな~~と思ったらスイッチを入れ、あとの温度管理はエアコンのサーモ任せで、その後はほったらかしで暖房していることを忘れてしまっているだろう。
「無知の知」と住宅の到達点——床下エアコンという境地
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「無知の知」という概念を提唱した。
これは、「自分が何も知らないことを知っている者は賢い」という考え方として知られている。この境地は、住宅に関しても、理想像として当てはめられる。

暖房がかかっていることを強く意識せずに、ただ自然に過ごす滞在空間。これこそが、住宅としての完成形に近いのではないか。
飽きることのない白いご飯
私どもの界隈では、「白飯の例え」が知られている。
たまに炊き込みご飯を食べると美味しいと感じるが、毎食毎食、炊き込みご飯だと飽きてしまう。白飯は毎日何年も食べても飽きることはない。
快適な空間とはそれと同じで、寒くも暑くも感じることのない「無感」であることを良しとする。

優れた住宅とは、「気持ちがいい」と感じても、「なぜ気持ちがいいのか」を意識させないもの。
住む人が「温かい」ことすら意識させず、ただ自然にくつろげる空間
——それこそが、住宅における「無知の知」の境地なのだ。
