小さな調整
向陽の家B「母を囲む家」で、床の間の壁を、一面だけ違う仕上げにしました。ほんの気まぐれのようでもあり、台所で砂糖の量をひとつまみ増やすような、そんな「小さな調整」です。
漆喰の中に、インドで採れるほのかにピンク色をした骨材を混ぜ、壁に塗った後である程度乾き具合を測りながら擦って洗い出すという仕上げ。骨材の粒が少しだけ顔を出しています。そんな手間のかかることをする必要は、実はどこにもありません。でも、必要のないことをやらない建築は、どこか「味気ない」、というのも本当の所なのかもしれません。
たとえば壁に色を与えたい時には、色粉で色を付けるやり方もありますが、色を塗ったという印象が残るのかなと。そうではなく、骨材が元々持っている素材の色が、混ざり、洗われ、ようやくボンヤリと表に出てくるという、そのおとなしい出方のほうが、けな気でいいのかもと思いました。出来上がってみれば、ピンク色とは言いがたい。それでも、壁の前に立ってみると、不思議と控えめな「味わい深さ」があるような。
レオナルド・ダヴィンチは「モノ」の輪郭を描くこと、線描することを脱して、その周りの空気を描く描法を発見、実施しました。いわゆる「朦朧体」ですがスーラの点描法もそれに通じますし、日本画の伝統でも岡倉天心の指導のもと横山大観、菱田春草等によって試みられた歴史を持ちます。「見えないくせに、見えた気にさせる」。この床の間の壁は、ほとんど色は見えません。色そのものというより、洗い出した素材の粒の点々があります。
工事の終盤、一人で黙々と仕事していた電気屋さんから「あの壁、おいしそうな壁ですね」とポツリ言われました。ほーと思い、思いがけずココに一人、何かしら反応した人がいたのだなと。やっぱり「味わい」みたいなものが出ているのかもと、完成間近の現場で、コレはコレで「小さな調整」の意味が何かしらあったのだろうと心得ました。もっとも、できるだけ多様な左官仕上げを建築に埋め込むことに常々意味を感じており、年季の入った古参の左官から若い人材に職人技術が伝わっていくのを見るのは、建築が静かに続いていくための、いい風景だよなぁと感じてはおります。
考えた仕上げを自分で試そうと、道具と材料を用意して、ああでもない、こうでもないと。
濃さの違う、ほのかなピンク色(朱鷺・トキ色)。積層の具合で、濃いピンクと薄いピンク。
骨材が大きすぎたので、ハンマーで砕いたりなど。少し黒っぽいのも混ざってきた。
塗り付けて、乾いてきたらスポンジで擦って、表面の漆喰を洗い落とすと、骨材が顔を出す。

色そのものというより、洗い出した素材の粒の点々。

