
はじめまして!
私たちは、兵庫県出身の夫(40代)・新潟県出身のイラストレーターの妻(30代)・新潟県生まれの娘(もうすぐ3歳)の3人で、現在新潟市内のオガスタで建てた家に住んでいます。ささがわと申します。
こちらのコラムでは、私たちが新潟に移住し、家を建てたお話しをお届けします。つたない文章ではありますが、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
はじめに:東京暮らしからの「ステップアップ」
まず今回は、妻の私が東京での生活を少し振り返りたいと思います。
私たちは当時、杉並区永福町駅周辺にある2LDKの賃貸マンションに住んでいました。

▲東京で暮らしていた部屋。桜の木が見える、良い部屋でした
夫婦共に職場まで30分圏内と比較的アクセスも良く、自宅から歩いて10分ほどのところには大きめの公園などもありました。
住んでいた京王井の頭線は近くに美味しいお店がある駅が多く、金曜日は美味しそうなところを見つけて、仕事終わりに2人で飲みに行くのが日課でした。
週末は都心部へ出かけたり、近所の公園へピクニックしに行ったり、遊びや飲食店に関しては本当に充実していて楽しかったです。
しかし、自炊となると近くのスーパーは野菜の品数がイマイチだったり高価だったり・・
特に野菜や魚コーナーに行くたびに、私は地元新潟の直売所やスーパーを思い出してしまい、新鮮で安い食材が恋しくなっていました。

▲新潟市の直売所。朝採れた新鮮な野菜がたくさん並ぶ。しかも安い。
元々私には「将来的には新潟に住みたい」という漠然とした願いが学生時代からずっとありました。
その思いの根源はやはりグルメの良さがダントツで大きく、帰省の楽しみの1つでした。
一方、夫は私の実家訪問などで新潟を訪れるたびに、グルメはもちろん、東京とは違う「ゆとりのある街と時間の流れ」に魅力を感じ始めていたようです。
そんなある日、晩酌の席でふとこれからの人生の家計設計の話になり、もし「本当に新潟へ移住したいのなら、お互い体力も比較的お金の余裕もある今がタイミングなのではないか」と夫が切り出してくれました。
最初は冗談半分で「叶うといいな」くらいの気持ちで職場に相談したところ、なんと2人ともリモートワークが出来ることに!(コロナ禍前だったので本当にラッキーでした)
「いつか将来的に」のままの願いだったらきっといつまでも移住しなかったでしょう。
自分の地元でもないのに、提案してくれた夫には本当に感謝しています。
そこからはとんとん拍子にことが決まっていき、あっという間に移住が現実になりました。
今思えば私たちにとって移住は、東京での生活をリセットするのではなく、「暮らしの質を向上させるためのステップアップ」という感覚でした。

▲夫が作ってくれた人生の家系設計の一部。将来をイメージしやすかったです。
移住成功の秘訣は「ダメなら戻ればいい」の安心感
私たち夫婦の移住がスムーズに進んだのは、「ダメなら東京に戻ればいい」というある種の割り切りがあったからです。これは、リモートワークで経済的な基盤を維持しつつ、実家のサポートが受けられる環境があったからこそできた、私たちなりのリスクヘッジでした。
夫は隔週で東京出張もありましたので、まずは東京へのアクセスも良く、飲食店も多い新潟駅近くの賃貸マンションを契約しました。東京に住んでいた頃も日課だった外食の時間は今もとても大切にしていて、住居を選ぶ際には近所に飲食店のある、ある程度栄えた場所を選んでいました。
夫も最初は慣れない土地で、周辺に知り合いのいない寂しさや、初めて感じる雪の厳しさなど、大変だったと思います。それでも食べ物やお酒は美味しいし、大好きな温泉はたくさんある(新潟は国内で3番目に温泉地数の多い温泉大国です)。夫婦で一緒に過ごす時間も増えたので、毎週車で道の駅や酒造巡りなどに出かけました。
移住して半年ほどたった頃、コロナ禍になり、全国的にリモートワークが推奨されました。
私たちも東京へ行くことは無くなり、もう1度人生の家計設計を見直すタイミングを向かえます。
この地に根を下ろして自分たちの理想の暮らしを考えてみよう。
次回は、家を建てるに至った経緯や、その時の状況をメインにお話ししたいと思います。
